教室と社会
――大正自由教育で生まれた「学級王国」は国体のミニチュアだったとのことですが、この仕組みは敗戦後も継承されたと見ていいですか。
そう思います。さっきも述べた通り、「学級王国」は他の国では類を見ない、教育の「日本型システム」です。「日本型システム」というのは、年功序列や終身雇用制がその代表例ですが、一般的には戦後の高度経済成長期に形成されたと考えられています。しかし私は、その内実は戦前に成立したと見るのが良いと思います。
日本型システムの一例として「トヨタシステム」があります。工場の労働者を班に分け、班単位で働き方を議論させる仕組みですが、私はこうしたシステムの原型が大政翼賛期に成立したと考えています。
「学級王国」が生まれたのは大正期ですが、それが集団主義的な学級経営として普及し、制度として定着し、大政翼賛期で「国民学校」につながったと見ることができる。それを経て、子どもたちの自主性を基盤とした担任教師のリモートコントロールという「学級王国」のシステムが、戦後も無批判に継承されたのではないかと私は考えています。
――なるほど。
戦後の学級経営や生徒指導に大きな影響を与えたのは、「班・核・討議づくり」という民間教育運動です。大西忠治という中学校の教師が提唱し、1960年代から各地に広がりました。
これは学級をいくつかの班に分け、学習や生活の基本単位にするというものです。「核」というのは班や学級を引っ張るリーダーのことで、担任教師はそのリーダーを通して集団としての規範や生活態度を浸透させる。「討議」というのは集団で意見を出し合い、話し合って物事を決めることです。このように、「班」と「核」と「討議」によって学級を経営するのが「班・核・討議づくり」です。
――たしかに「学級王国」との連続性がありますね。
1960年代から70年代の学校教育では、「班・核・討議づくり」を含む集団づくり運動が爆発的に広がりました。子どもたちを民主的で主体的な集団として育てる「学級集団づくり」の研究と実践が全国で行われたのです。

同じ時期に産業界では「生産性向上運動」が起こりました。高度経済成長を支えたこの動きのなかで、1960年代には石川馨らによって「QCサークル運動」が広がっていきます。QCとはQuality Controlのことで、工場の労働者が小グループ(サークル)をつくり、自主的に製品の品質や仕事の進め方を改善していく活動です。トヨタもこれを取り入れました。
お気づきだと思いますが、この工場管理モデルと教育界の集団づくりは瓜二つです。教育のシステム、特に学校や学級のシステムというのは、社会のシステムと切り離すことができません。教室というのは、どの時代においても、社会のミニチュアなんです。
――戦前は国体のミニチュアであり、戦後の高度成長期には工場のミニチュアになると。
現在もそうですよ。同じように社会のシステムを反映して、学校や学級は経営されています。
学級王国の崩壊
――1990年代には全国で学級崩壊が起こり大きな問題となりますが、これはどのように考えればいいですか。
私は学級崩壊を「学級王国」の崩壊だと見ています。
子どもたちが荒れて学級がまとまらないということは、それ以前にもよくありました。しかし、この時期に「学級崩壊」と呼ばれた現象には、いくつかの共通する特徴があります。高学年でよく起こったということ、都市の近郊の学校が多かったこと、そしてこれが一番重要なのですが、それまで指導力があると言われていたベテラン教師の教室で起こったということです。細かく見ていけばもっとはっきりするのですが、端的に言えば、「学級王国」で運営していた先生方の教室で集中的に起こっているんです。

生徒たちの収拾がつかなくなる現象をまとめて「学級崩壊」と呼ぶので、そこには「小1プロブレム」のように「学級王国」が原因とはいえないものも含まれますが、大局的には、戦前から継承されてきた教育の日本型システムがもはや有効に機能しなくなった、と見ることができると思います。
――学校や学級が社会のミニチュアだというお話を踏まえると、社会全体がそうなっていったということですか。
そう言えると思います。産業界における日本型の経営スタイルも、やはりこの時期に行き詰まっています。日本型の近代化がこの時期に破綻した、と言っても過言ではないでしょう。
日本をはじめとする東アジアの近代化には3つの特徴があります。
一つ目は、圧縮された近代化であるということ。西洋の社会が2世紀、3世紀かけて進めてきたことを、日本は1世紀、韓国や中国、台湾はさらに短い期間でやっていますよね。なぜこれが可能だったかというと、西洋の社会に比べると、階級や人種の不平等が少なかったからです。誰もが学校に通える制度を整備し、そこに学力による競争を組織する。したがって、東アジア型の近代化は学歴社会と受験戦争を生み出します。つまり日本の学級システムはその集団主義の裏側に、私的利害を追求する個人主義を並存させていたのです。

二つ目は、ナショナリズムが教育の推進力になっていること。日本では義務教育の就学率が、日清戦争と日露戦争の間で急激に伸びています。1895年が61%であるのに対し、1905年には96%。文部省の統計なのですこし高めに出しているとは思いますが、たった10年で30ポイント以上伸びている。この10年は日本のナショナリズムがかつてないほど高揚した時期であり、それが推進力となって国民教育が普及したと見ることができます。韓国、中国、台湾にも同じことが言えます。
三つ目は、上の二つの結果なのですが、公共性の意識が薄いことです。一方では競争によって個人主義が蔓延し、もう一方では国家が人びとの意識の中心を占める。高度成長期にはこれが「生産力ナショナリズム」として復活します。公共空間というのは個人と国家の中間領域ですから、個人主義と国家主義が併進すると押しつぶされてしまう。1984年に設置された「臨時教育審議会」を契機とする官邸主導の教育改革と新自由主義的改革によって、教育の公共性は大きな打撃を受けました。
まとめると、「学級王国」の崩壊は、ナショナリズムによって形成された日本型システムが、新自由主義とグローバリズムによる社会の変化に耐えきれず瓦解した現象、と見ることができるのです。
