学びの共同体の改革

――最後に、これからの教育についてもお聞きしたいと思います。先生が推進しておられる学校改革は、国内はおろか世界31の国や地域に広がっているそうですが、この改革はどういうものですか。

 この改革は、学校を学びの共同体にする取り組みです。すべての子どもたちがコミュニティを形成して学び合う。だれも独りにしない。教師たちは専門家共同体をつくって教室を開き合い、そこに保護者たちも参加するというのが基本的な理念です。

 学校を共同体として見るのは古代ギリシャからある考え方です。学問というのは、もともと共同体の営みなんです。学校がいまうまく機能していないとすれば、それはこの共同性を失っているからに他なりません。個人がバラバラに生きる現代では、子どもも教師も保護者もつながりを失っています。そのつながりを回復し、学校を共同体として再生する。これを私たちは「学びの共同体の改革」と呼んでいます。

  学びの共同体の改革では、公共性民主主義卓越性の追求という3つの哲学を掲げています。

 公共性というのは、学校をパブリックなスペースにするということです。学校や教室は校長の私物でも、担任教師の私物でも、もちろん特定の子どもや保護者の私物でもありません。しかし、実際には私物化されてきました。教師たちは、自分の教室のことには口出ししないでと言う。まさに「学級王国」です。教室を閉ざしている教師が一人でもいる限り、学校改革は実現しません。だからそれを開き合う。内にも外にも開き合って、共により良い場所へとつくり上げていく。それが公共性です。

 二つ目の民主主義というのは意思決定の手続きではなく、誰もが主人公になる社会をつくるということ。これはジョン・デューイによる定義ですが、多様な人びとが共に主人公として生きられるような関係を築くということです。そのために必要なのは、話し合いではなく、「聴き合う」こと。聴き合うことで対話が生まれ、協同が生まれ、誰もが主人公になる関係が形成されるのです。

 三つ目は卓越性の追求。この卓越性というのは、他の人と比較して優れるということではなく、どんな条件にあっても、そのなかでベストを尽くすという意味です。学びや教育は、最高のものを追求しないと本来の機能を発揮しません。子どもの能力が低いから、あるいは家庭環境が厳しいからといって学びのレベルを下げてはいけない。私はよく、学びは背伸びとジャンプだと言っているのですが、絶えずいまの自分を超えること。それをみんなで追求する必要があるのです。

――先生がこうした改革を構想し実践に移されたきっかけは何だったんですか。

 新自由主義に対する抵抗です。さっきも触れた「臨時教育審議会」の設置(1984年)以降、文科省や中教審(中央教育審議会)、さらにはなんと教員組合まで新自由主義に流れてしまった。今までの日本の教育は国家中心で画一主義だったから、自由選択・競争・自己責任を原理とする市場のコントロールにまかせれば多様化するだろうと。

 1990年代半ばには、新自由主義の総動員体制が生まれたわけです。メディアもこれに乗っかって、学校批判・教師批判を繰り返す。その動きが極限まで行ったのを目の当たりにして、公教育と民主主義の教育を守るしかないと決意しました。そのためにどうすればいいかと考えて構想したヴィジョンと哲学とシステムが「学びの共同体」だったわけです。学びの共同体の改革は、今現在、約300校のパイロット・スクールが拠点となり、全国に約3000校のネットワークを形成しています。

学びという幸福

――この改革に参加している学校では、どういう授業を行っているんですか。

 学びの共同体の改革では、小学校低学年ではコの字型の教室配置による全体学習とペア学習、小学校三年以上、中学校、高校では男女混合4人グループの教室配置による協同的学びを中心に授業を組織しています。この授業でまず言えるのは、生徒が誰ひとりとして置いていかれていないということです。一度見てもらえば一目瞭然なのですが、45分なり50分なり、どの子も最初から最後まで夢中になって学んでいます。

――先生が板書しながら説明するというスタイルではないんですね。

 ぜんぜん違います。1時限で先生が話すのは5分か10分くらい。子どもたちがコミュニティを形成し、協同で学び合うんです。

グループに与える課題には、誰もが理解すべき〈共有の課題〉と、生徒の3分の1が達成できるレベルの〈ジャンプの課題〉があり、それぞれに授業の前半と後半で取り組みます。子どもたちは後半の〈ジャンプの課題〉が大好きです。特に学力の低い子ほど夢中になります。学問の楽しさというか、いちばんオーセンティックな学びを経験しているのだと思います。

――先ほど言われた卓越性の追求というのはこのことですね。

 学ぶというのは本来、喜びなんです。私は学びに勝る幸福はないと思っています。その幸福を子どもたちは享受しているんです。

 もうひとつ言っておくと、このグループにリーダーはいません。誰もが主人公なのに、リーダーがいたらおかしいですからね。いつも感動するのですが、子どもたちを対等・平等な環境に置き、聴き合う関係をつくってあげるだけで、子どもたちは上手に支え合うし、協同で夢中になって探究します。本当に魔法みたいですよ。リーダーをつくるとこうはならないんです。

 協同の関係で結べば、子どもたちは自分たちで模索して最適のシステムを作っていきます。これこそが民主主義であり、社会を作り出す力学だと思います。

先生を確実に変えるのは

――今では大きな成果を上げているこの改革ですが、『新版 学校を改革する』(岩波ブックレット)によると、最初の10年は失敗の連続だったそうですね。

 最初の10年で1000校くらい回りましたが、うまくいきませんでした。でも実は、学校の改革で成功した人なんていないんですよ、歴史的に見ても国際的に見ても。だから失敗するのは当たり前で、成功したらすごいことだと思っていました。今の状況は奇跡だと思っています。

 学校改革が失敗してきたいちばん大きな要因は、これは私自身が経験してわかったことですが、校長や教師を変えることで学校を変えようとしたことです。こうした政策や改革プランは、職員室には行っても、教室までは届かないんです。

これにはちゃんと理由があって、先生方が教育省とか文科省を根底から信頼してないからです。われわれ教育学者のことも、さらには同僚の先生のことも信頼していない。その不信がどこから来ているかを考えない限り、教師を変えようとする学校改革は全部失敗すると思います。

  じゃあどうするのかというと、いまお話したようにまず授業を変えるんです。授業を変えれば子どもは変わります。その変化に先生はびっくりする。つまり子どもたちの変化は、確実に先生を変えてくれるんです。

――面白い! そしてすごく説得力があります。

 世の中にはいろんな先生がいますが、どんな先生でも、いちばん見たいのは子どもたちの笑顔です。教室の中で輝いている、子どもたちの姿が見たいんです。それを見たら、誰だって変わりますよ。だからまず授業を変えること、子どもたちみんなが主人公になるシステムをつくることが大事なんです。


――みんなが主人公になるというのはいいですね。子どもだけではなく、われわれ大人にも必要な考えだと思いました。

 近代の市民社会は「社会契約」によって実現しますが、現実に成立したのは寡頭政治の社会です。一部の人たちの利権のために民主主義が利用され、その結果、このとんでもない格差社会が生み出された。今日の民主主義への不信の背景には、このことがあると思います。

 だとすると、この社会を変えるには、「新しい社会契約」に基づく、「新しい市民社会」の創出が必要ではないでしょうか。それを新しい近代化、次の世界を築いていくプロジェクトだとすれば、学校や教室はその「新しい市民社会」を先取りする場所でありたい。その挑戦こそが学びの共同体の改革だと私は考えています。

取材日:2026年8月25日 聞き手:加藤哲彦