近代化と資本主義

 近代化は歴史上の一角を占めるプロセスである。とりわけ西洋の近代化は世界でも群を抜いて科学や技術、学問や諸制度を発展させ、他を圧倒してきた。そこで多くの知識人にとって、特に19世紀後半以降に近代化を果たした非西洋の後発諸国の知識人にとっては、その頃から長らく重要なテーマであり続けてきた。かれらがその国の定める制度の枠内で社会科学や人文学と呼ばれる領域に携わった際に、西洋の近代化のさまざまな成果はしばしば、地域を超えた普遍的な範とされてきたからである。しかし21世紀の世紀転換期前後から、近代化を考察する思想史的文脈は大きく変わってきている。

 そもそも、西洋の近代化はなぜ圧倒的に強かったのか。おもな理由の一つは、資本主義の発展を生み出したことであった。資本とは大まかにいえば、誰もが気にせずに使っていた何かを個別の所有物として切り出し、それをもとにして何かを生み出し、利を増やすときの元手のことである。このプロセスは「囲い込み」と呼ばれ、わかりやすい例は土地や自然の恵みなどであった。囲い込まれたものを所有者以外が使用して何かを生み出す、つまり生産する場合、その使用者は使用料を支払わなければならず、所有者はこれを受け取る。また所有者はその元手をそのまま、あるいは場合によっては分割して売却することもできる。つまりそこで所有物を商品として売買できる場、市場が成立していることが前提であった。

 市場そのものは近代化のはるか以前から世界各地に存在していたが、規模の小さいものが多く、売買の頻度もそれほど多くなかった。それに対して、西洋の近代化の時代以降、人間社会のさまざまな活動のうちで「資本」に関する活動が次第に大きな割合を占めるようになり、ついには産業革命を機に特別な、ひいては唯一の活動のようになったのであった。

 資本主義はそれから次第に西洋を超えて広がり、やがて世界の隅々まで達することになった。言い方を変えればそれは世界中に市場が広がった、世界が市場化されたともいえる。いわゆるグローバリゼーションすなわちグローバル化、地球化における市場化のプロセスである。

 ところで西洋の近代化において特徴的だったのは、ここに国民国家の形成と発展が深く関わっていたことである。原理的に考えるなら、国境を線引きして限定することと、市場が果てしなく広がっていくプロセスとは相容れないはずだが、実際に起きたことは必ずしもそうではなかったのである。これもまた19世紀以降に国民国家論として、近代化そのものと同じほどに繰り返し論じられてきたものである。そしてここに各国の貨幣システムとその国際的制度が関わっている。

後発国の苦悩:発展段階論と従属理論

 西洋の近代化が西洋を超えて浸透する中で、これを普遍的な範としてきた後発の諸国、そこには「近代」を迎えた19世紀後半つまり明治時代の日本も含まれているが、そこで知識人たちが直面した課題は、先行する諸国を視野に入れつつ近代化とどう対峙するかであった。そもそも西洋と呼ばれるヨーロッパ地域も一枚岩ではなく、各国毎の事情や矛盾を抱えていた。なかでもドイツの存在は特異であった。

 今や欧米諸国でも牽引力の一つとなっているドイツは1870年代初頭、当時すでに市民革命という近代化を果たしていた英国やフランスと比べればずっと遅れて、ようやくこれに着手したのであった。国家の方針を考案し実施したのはもちろん政治家たちであったが、それ以前から国家学という制度の下で知識を蓄積し研鑽を積んできた学者たちも、思想的基盤形成に、また政策に対して、実践的にも重要な役割を果たした。かれらの知的、思想的営為は当時、同時代人のマルクスやマルクス主義者によって低い評価へと貶められたものの、国境を越えてアメリカや後発国の日本などの知識人たちに影響を及ぼし、やがて20世紀の後半にはアジア、ラテンアメリカ諸国でもさまざまに受容され、ひいてはその展開形がアフリカ諸国にも影響を与えることになった。

 19世紀のドイツでまず提示されたのは、農業から工業(産業)、その先へと段階を踏んで近代化がおこなわれるという発展段階論であった。未発達の幼児が成人世界に突然放置されたら生きていけないのと同様に、後発国の「幼稚」産業は当面、保護と育成を必要とするが、しばらくして成育が進んだ後には、段階的に保護を撤廃し国際的な競争力をつけてゆき、ついには先進国との競争にも勝ち抜いていくとする理論モデルである。

 これは人間の成育イメージに沿った成長のサクセス・ストーリーであり、さまざまな修正や改善を施されたヴァージョンを含めて、今日に至るまでなおも人気のあるモデルである。改善型モデルの中には、20世紀後半のアジア、ラテンアメリカなどの開発独裁モデルや、飛び級的に段階を超えて、たとえば輸入や輸出を自国で代替する諸段階を飛び越えて一挙にIT産業に参入するなどといったリープフロッグ(つまり蛙飛び、一足飛び)型発展などの変則型のヴァージョンを含む場合もある。

 他方でマルクスやマルクス主義の思想、とりわけマルクス主義的な帝国主義理論の影響もあり、資本主義・市場経済的な先進諸国に、むしろ対抗する立場の諸思想も展開された(ただしマルクスの資本論にも、上記のような発展段階論的な考え方は共有されていた)。20世紀には、発展段階論を阻む構造的な要因が先進諸国の発展そのものに内在しているとする従属理論の系譜が生まれ、特に20世紀後半にはラテンアメリカやアフリカ諸国の知識人たちによって思想上で展開されて、対抗運動の諸実践を支えることになった。後発国は未発展なのではなく低発展状態にさせられているとする従属理論、新興独立諸国が宗主国の経済システムに組み込まれて世界市場システムの一部を担わざるを得なくなっているとする世界システム分析などが、この系譜に属している。

 なおマルクス主義的な帝国主義論がもっぱら経済的次元を分析対象としたのに対し、その社会的、文化的側面からより広く植民地主義の問題としてとらえる思想も存在し、それは経済思想というよりはむしろ、より広く社会思想、哲学的思想の領域で展開されてきた。そこではより明示的に、制度として植民地から独立した後も実質的に依存状態が続くことを、ポスト植民地主義(コスト・コロニアリズム)の問題として両義的に捉える視点が重要となっていた。つまりポスト植民地主義とは、独立後なおも続く実質的な依存状態を指すと同時に、その実質において植民地主義を終わらせる理念的状態としてのポスト植民地的状態を求めることも含意したのであった。

「近代化」の新たな位置づけ

 マルクスやマルクス主義の思想は、上記の簡略な概観にも見え隠れするとおり、20世紀の諸思想の位置関係の参照軸として、よくも悪しくも深く影響を及ぼしてきた。それはもちろん、ソビエト社会主義共和国連邦が現実の国家体制として出現したこととも関わっており、20世紀後半には「東西」対立という空間把握として語られもした。ちなみに、この対立構造に組み込まれていなかった、あるいは組み込まれようとした後発の諸国、あるいは場所を「南」として「北」と対置する「南北問題」が語られたのも同じ頃である。ともあれ、体制批判としてのマルクスやマルクス主義の立場を視野に、政治意識としての「左派(左翼)・右派(右翼)」の対立として考える意識は、今なお人びとの中に多少なりとも残っている。

 しかし他方でもちろん、双方を受容しながら「生産」や「経済」を根本的に問い直す諸思想も20世紀初頭から存在した。ヨゼフ・アロイス・シュンペーターやカール・ポランニーの思想などはその一例といえるだろう。

 かれらは人間だけでなく土地を含めた自然や環境にも注目し、経済やその中心的概念をとらえ直した。経済活動とは人間社会と自然のあいだにある持続的な相互関係であり、生産は原料の消費で消費は次なる生産の準備であるという相互乗り入れの循環作用ととらえられた。これは広義の「経済」概念であり、現代のサステイナビリティ(持続可能性)へと連なる。ただしそうした視点が世界に明確に認識されるのは、1973年に石油資源の枯渇を警告したローマクラブの「成長の限界」論などを先駆として人間社会を含む生態系システム全体の危機が叫ばれた1990年代前後からであった。

 これを人新世、つまり人間社会の発展が世界を不可逆なまでに改変した地質学的年代と位置づける論者もある。しかしどのように概念化し定義するか、またそもそも概念化するかどうかにかかわらず、そこには、社会科学や人文知が自然科学の知見をも組み入れて人間社会全体で真摯に取り組むよう要請されている事態があり、「近代化」の新たな文脈が表れている。「近代化」とはつまり、人間たちがみずからの社会を成長や発展に向けて組織化し、物質世界や生態系サービスを大幅に活用し、物質やエネルギーを大量に消費して大量生産を行ってきたこと、それで社会・経済的に大きな変化を引き起こしてきたこと、と位置づけられることになる。およそ18世紀からの産業革命は「産業の時代」、続く1950年前後から現代に至る時代は「大加速」時代と定義されることになった。

国家と貨幣:所与としての貨幣制度

 「近代化」が副作用を伴うことは、すでに19世紀の資本主義発展期からさまざまに指摘されてきた。具体的な事例でいえば、すでに19世紀前半からイギリスやフランスで工場のスモッグや炭鉱の汚染が指摘され、やがて日本では水俣病や四日市ぜんそくなど、病名で認知されてきた諸問題も存在した。この観点から上記の諸思想を見直すことは重要であり、実際にそうした取り組みも、これまでさまざまに表れてきた。

 しかしそこで意識せざるをえないのは、それでもなお近代化への志向、市場志向とそこで生み出される利得への志向が、世界のいたるところに止み難く存在するという現実である。近代化の副作用を強調して広義の経済の重要性を主張し、脱成長、脱開発を唱道する論者たちがいかに力を込めても、なかなか社会に深く浸透しない状況が長らく続いてきた。いま「近代化」を考えるとすれば、この問題を避けて通ることはできないだろう。