先の歴史に見たように、科学そのものの歴史は浅いと言うべきだろう。人間の精神的活動である宗教や芸術は何万年という長い歴史があるが、同じ精神的活動である科学が自立して独自の歩みを開始したのは、ようやく16~17世紀であるからだ。故にこの時期は「科学革命」と呼ばれるが、ここでは「第1の科学の近代化」と呼ぶ。これによって人間世界を取り巻くマクロ世界の法則が明らかになり、19世紀末には科学がすべてを明らかにしたので、もはや科学の対象はなくなったとして「科学の終焉」が語られるほどになった。

 しかし、それは人間の傲慢さが作り出した幻想で、20世紀に入ってニュートン力学に取って代わる物理法則である量子力学が発見された。これが「第2の科学の近代化」であり、ミクロ世界の電子と原子核が研究の対象になり、核兵器の技術が開発されて人間を追い詰める元凶ともなった。そして今再び「科学の終焉」が語られるようになったが、まだ「第3の科学の近代化」はもたらされていない。

第1の近代化:自然哲学から科学へ

 科学が古代ギリシャ以来の自然哲学から唯物的な世界の法則や原理を追究する分野の学問として自立する、つまり近代化の第一歩を歩みだすに当たっては、3人の自然哲学者の寄与が不可欠であった。

 一人はフランスのルネ・デカルト(1596~1650)で、物心二元論の哲学によって願望や理想などの精神世界と自然界を構成する物質世界を明確に区別し、探求の矛先を後者の物質世界に絞って機械論的自然観の下で追究する科学方法論を提示した。科学の哲学的基礎を明確にしたのである。

 二人目はイタリアのガリレオ・ガリレイ(1564~1642)で、実験的手法の重要性と数学を駆使した厳密な論証法を提示し、近代科学の基本的条件を明らかにした。そして三人目がイギリスのアイザック・ニュートン(1642~1727)で『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』によって物体の運動(力学の系)の三法則を提示し、万有引力を導入して天の運動と地の運動を一体として理解できることを明確に示した。これを「ニュートン力学」と呼ぶ。

 これら3人の仕事によって物質の運動の力学理論が完成し、私たちの日常に接するマクロな物質の運動の過去から現在までを過不足なく記述し、未来を予言することが可能になった。フランスのピエール・ラプラス(1749~1827)が自然界のすべての物質の現在の位置と速度がわかれば、その未来を完全に予測することができる「ラプラスの魔物」を提案したが、まさにニュートン力学の万能性を象徴していると言える。以後、イギリスのマイケル・ファラデー(1791~1867)が実験的手法で、そしてジェームス・クラーク・マクスウェル(1831~1879)が理論的に電磁気学を完成させ、電気(電流)と磁気を帯びた物資の運動を解明した。

 以上のニュートン力学と電磁気学の完成によって「第1の科学の近代化」が成し遂げられた。科学の全分野(化学・生物学・地質学・鉱物学)の基本法則は、これによって導かれることになったのである。そのため、19世紀の終わりになって「科学の終焉」がまことしやかに議論された。科学ですべてを知り尽くしたので、もはや成すべき課題はなく、科学は終わると主張されたのだ。

 しかし、それは間違っていることが示されることになった。最初は、20世紀に入ってドイツ生まれのアルバート・アインシュタイン(1879~1955)が、物質の速度が光速に近づくと運動法則は「特殊相対性理論」の修正を受け、重力が非常に強くて物質が光速まで加速されるような場合には「一般相対性理論」の修正を考慮しなければならないことを示したのである。これはニュートン力学とマクスウェルの電磁気学の重大な修正であったが、根本的な変更ではなかった。

第2の科学の近代化:電子と核への肉薄

 科学の法則の根本的な修正は、1925年にドイツのウェルナー・ハイゼンベルグ(1901~1876)が行列力学を、1926年にオーストリアのエルウィン・シュレーディンガー(1887~1961)が波動力学を、そして1928年にイギリスのポール・ディラック(1902~1984)が相対論的量子力学の理論を提出したことである。電子や陽子などのミクロ世界ではニュートン力学は成立せず、物質の波動性と粒子性の双方の性質(量子性)を考慮した力学(量子力学、量子論)に変更しなければならないことが示されたのだ。

 その結果、従来のニュートン力学は「古典力学(古典論)」と呼ばれるようになった。これが「第2の科学の近代化」で、さまざまの物質の性質(物性)はそこに存在する電子の運動によって生じているもので、当然量子効果(編注:波と粒子の二重性、、複数の状態が同時に存在する重ね合わせ、壁をすり抜ける「トンネル効果」といった日常的には考えられない現象)を考慮しなければならないのである。

 その典型は物質の電気的性質で、極低温に冷やせば電気抵抗がゼロになる超電導状態が生じることだろう。20世紀は電気文明の時代と呼ばれるが、電気に関わる現象にはすべて電子が関与しており、その扱いには量子力学を適用しなければならない。量子力学は電気現象を通じて物理理論を一変させたのである。

 さらに、物質世界のミクロ構造を問題にする第2の科学の近代化は、思いがけない「新世界」を人類にもたらすことになった。

 すべての物質は原子から成り立っており、原子は中心部に位置する原子核とその周辺部に分布する電子から成り立っていること(原子論)は19世紀末に信じられるようになっていた。先に述べた物質の物性と呼ばれる電気的・熱的・力学定性質に関係するのは電子である。そして、いよいよ研究の最先端が原子核に到達するようになったのが1930年代末であった。

 そこで発見されたのが「核分裂」で、ウラン235(重さが陽子の235倍)の原子核に中性子という粒子をぶち当てると核分裂を起こし、大量のエネルギーと複数個の中性子を同時に放出するのである。この原理を利用し、ウランを多数集めてそのうちの一つに中性子を吸収させる。するとウランは核分裂を起こしてエネルギーと複数の中性子が放出されるので、その中性子が他のウランに吸収されてさらに核分裂を起こし、という過程が繰り返される(これを「連鎖的核分裂」という)。

 こうして、鼠算式に核分裂数が増大し、それに応じて莫大なエネルギーが放出に導かれる。これが「原子爆弾(原爆)」であり、ウラン235と人工的に合成されたプルトニウム239が核分裂する原子核として知られている。同じ重さの原爆と通常の火薬(化学反応)の爆発を比較すれば、10万倍のエネルギー放出量の差がある。そのため原爆の莫大な爆発エネルギーは、同じ爆発エネルギーの火薬の重さに換算して、10キロトン(1万トン)単位で表している。広島に投下された原爆は15キロトンである。

 さらに、原爆の爆発エネルギーを利用して重水素を加熱して核融合させると、もっと爆発エネルギーを莫大にすることができる。これが「水爆」でその爆発エネルギーは、1メガトン(100万トン)単位の爆発力となる。このように、第2の科学の近代化は人類を破滅させかねない恐ろしい武器を現出させることになったのである。

 尚、「連鎖的核反応」を一気に起こすのではなく、核分裂で放出された複数の中性子のうち1個のみを次の核分裂に使い、残りは制御棒に吸収させるようにすれば、常に一定のエネルギー放出とすることができる。これによる発電が「原発」で、効率のよい発電法だとして、今や世界で400基以上が稼働している。しかし、原発の内部には核分裂によって大量の放射線を放出する不安定な元素が作られ、それがいったん原子炉外に放出される事故を起こすと、周辺に深刻な放射能汚染を引き起こすことになる。

 1986年に旧ソ連のチェルノブイリ原発で核反応の暴走反応が起こって深刻な放射能汚染を引き起こした。また、2011年には福島第1原発で1~3号機が連鎖的にメルトダウン(炉心溶融)事故を引き起こし、4号機とともに水素爆発を起こして放射能を拡散させた。このように、原発はひとたび事故を起こせば悲惨な環境汚染を引き起こすことになる。通常の火力発電は、いったん燃料(天然ガスや原油)の供給を遮断すると反応は止まるのだが、原発の場合は核反応を止めても不安定元素からのエネルギー放出が続くため冷やし続けねばならず、危険な状態が長く継続することになる。

 さて、第2の科学の近代化によって、原子核の操作まで手を広げたのだが、それは果たして人類の平和と幸福に寄与しているのだろうか。

第3の科学の近代化?:「科学の終焉論」とAIの科学技術

 20世紀の終わりになって、再び「科学の終焉」論が持ち出された。現在の科学は、物理学の相対論や量子論、地球物理学のプレート理論、生物学の遺伝のDNA機構、宇宙論のビッグバン理論などに依拠しているが、いずれも50年以上前に発見された業績である。この50年の間に、科学予算は10倍以上、研究者の数や論文数は5倍以上になっているにもかかわらず、科学の革命をもたらす新たな理論が発見されていないのだ。科学は物理的・経済的・原理的な限界に達し、終焉を迎えているのではないかというわけである。

 この状態を打ち破ると考えられる唯一の方向はIT(情報科学)で、これが「第3の科学の近代化」をもたらすのではないか、と考えられている。非常に大量のデータをAI(人工知能)が瞬時に処理することによって、過去のあらゆる事象(政治や社会の情報、小説や音楽などの芸術作品、科学論文を含めた論考や評論など)を集約して、その内容を容易に抽出してくれる。それが現在のAIブームである。今はまだ過去の人間の活動の集約に過ぎないため、これまで人間が手作業で行ってきた労働を軽減する上では実に便利ではあるが、何らかの新しい知恵を生み出すわけではないから、現時点では単なる情報技術の向上でしかない。

 しかし、AI自身が感情を持ち、自らの判断の可否・正邪・適不適を決定し、その判断に従って行動する、つまり「自己意識」を持つようになれば問題は異なってくる。これを「自律型人工知能」と呼ぼう。例えば現在でも既に、無人飛行機(ドローン)にはAIが搭載され、敵陣の情報を収集し(例えば赤外線強度を測定し)、予め人間がインプットした状況と合致すれば(例えば赤外線源の大きさや動きによって人間と判断できれば)敵と判断して容赦なく攻撃を加える、というプログラムが組み込まれている。

 この場合は、人間が情報を予めプログラムとしてインプットして(つまりAIに教え込んで)いるから、まだ「便利な」機械に過ぎない。しかし、AIがさまざまな情報を自律的に収集して組み合わせ、AI自身の判断で敵と認識して自動的に殺傷するようになれば、「自律的殺人兵器」として機能することになる。AIに組み込まれるコンピューターメモリーが増えて、人間からの司令がなくても意識を持った人間同様の能力を発揮するようになれば、そこに新しい知性が生まれることになる。そうなれば、「第3の科学の近代化」が起こるかもしれない。人間とは異なったAIの頭脳が考え出すことになって人間にはフォローできないから、どのような科学が新たにもたらされるか想像できない。さて、第3の科学の近代化は起こるのだろうか。