科学とイデア
――生きものが環境と一体となって、つまりは環境の一部として生きているのに対し、人間は環境を自分たちから切り離して捉えるようになりました。自然を「資源」や「材料」とみなす機械論的な世界観は17世紀の科学革命にルーツをもつと聞きますが、それが今日の環境破壊につながっているとする研究者も少なくありません。
生きもののサイクルから外れても、生きていける仕組みをつくっちゃったんです。それが人間のすごいところだっていうんですけど、それも結局は石油や石炭といった生きもの死骸によってできたものに依存していて、人間がゼロからつくったわけではない。それがなくなったらどうするのって話です。
近代社会の基盤になっているのは、いま言われた通り科学です。科学というのは非常に端正な物の見方なんですけど、ある意味それは、私たちの自然な感覚からはかけ離れています。
私たちは普段、かなりアバウトに世の中を見ています。「イヌ」と一口に言ったっていろんなイヌがいるし、人間だってこんなに違う。だから、「大体こうだよね」というのが自然なものの見方なんですけど、科学はそのアバウトさを許しません。対象を厳密に、一義的に定義しないと気がすまない。その典型が世界を数式で表す物理学です。
これにはユダヤ・キリスト教の考えが影響していると思います。神の論理によって創られたこの世界の真理は一つであり、それはシンプルで美しいものであるはずだ。ごちゃごちゃしてるのは正しくない。つまり、多様性とかLGBTなんてのは正しくないんです。
でも、生きものの世界は多様性そのものです。一義的に定義するなんて、とてもじゃないけどできません。私は生物の教科書の編集委員長をずっとやっていましたけど、厳密に「こうだ」と言えることって、生きものの場合とっても少ないんです。必ず例外がある。でもそれこそが、私たちの生きている世界なんですよ。たとえ科学では、正しくないように見えたとしても。
――生きものの世界と科学の世界で違いが生まれるのはなぜですか。
科学は世界をモデル化して捉えるからです。複雑な現実世界から「本質的」なものだけを抜き出し、「理想化」された世界をつくって、その中での法則を探求する。それが無意味だとはもちろん言いませんが、でもそれはある意味ゲームですよ。
――現実ではない。
現実はもっとぐちゃぐちゃしてる。だから科学から見ると、現実のあり方の方が間違っているんです。
――ある意味イデア的というか。
まさにイデアです。科学はプラトンなんですよ。私たちが見ているのはイデアの影であって、真の実在ではないというわけです。
――そう考えると、科学技術によってつくられた現代社会は、現実とは異次元の「イデア界」なのかもしれませんね。
そう言ってもいいかもしれません。生態系というのは、太陽から来たエネルギーをほんの少しだけ取り入れ、あとは地球上の生きもののサイクルによって成り立っています。でも人間は、さっきも言った通り、石油や石炭、さらには原子力といった危ういものまで使って、それとは違う世界をつくり上げた。ただしそれは、サステイナブルではない。持続不可能なんです。
回る時間、終わる時間
サステイナブルというのは回るということです。生態系とは生産者、消費者、分解者によって回しているサイクルだという話をしましたが、私たちの体も化学反応のサイクルによって成り立っています。
一つの細胞が分裂して二つになり、それが成長してまた分裂する「セルサイクル」や、光合成でデンプンをつくるカルビンサイクル、それを食べて呼吸で分解してエネルギー源を生成する「TCAサイクル」、生殖活動によって子孫を残し世代交代するのもサイクルですよね。つまり、生物の時間は回っている。回すから続くんです。
巷ではSDGsなんて言ってますけど、あんなのはウソっぱちですよ。同じところをぐるぐる回るからサステイナブルなのであって、発展しながら持続するなんてことはありえない。
――サステナブルとデベロップメントは両立しないと。
両立しません。最初に古典物理学の「絶対時間」の話をしましたが、過去から未来に向けてまっすぐ行くのが西洋すなわちユダヤ・キリスト教の時間です。回るというのは元に戻ることだから、それは交代であって、進歩ではない。
クヌート・シュミット=ニールセンという著名な比較生理学者がいます。私は彼から多くのことを学びましたが、ある時彼に「動物によって時間は異なる」と言ったら、ニヤッと笑って「お前の言う時間とは何だ」って言うんです。つまり、異なるのはサイクルであって、時間ではないと。そのときに、西洋人にとっては時間というのは絶対時間であり一つなんだと実感しました。
――そうした時間が基準となって、科学の世界がつくられているわけですね。
まっすぐな時間の上で、右肩上がりに進歩していく。それができるから人間は偉いんだというのが西洋近代の考え方です。その価値観に乗っかると、生きものとしてはもう破綻するしかない。
でも、かれらは破綻したっていいんです。というより、ユダヤ・キリスト教において、世界が破綻することは初めから決まっている。神はそういうものとして、この世界を創った。終末は必ず来るんです。だったらその前に、地球を捨てて、他の星に行けばいい。それがもはやSFじゃなくて、イーロン・マスクなんかは火星に移住する計画を本気で進めているんでしょ。ノアの方舟をまたやればいいんですね。
――なるほど。西洋人にとって絶対なのは神であって、この世ではないんですね。
この世が滅びるのは織り込み済みなわけです。温暖化対策が進まないのも当然ですよ。「化石燃料をどんどん使え」と言うような人物が、世界一の経済大国の大統領なんだから。
でも私たちは、そういう風には考えないですよね。この世が滅びてもいいと思っている日本人は多くないと思います。西洋になんでも追従するのではなく、その辺りの世界観・価値観の違いを、もっと真剣に捉えてみる必要があるんじゃないでしょうか。
取材日:2026年6月18日 聞き手:加藤哲彦
