ジョットの革新的な表現が、14世紀に入ってどのように展開したのかを確認するのに最も適した作例は、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂に残るピエトロ・ロレンツェッティの壁画[図1]でしょう。

[図1]アッシジ サン・フランチェスコ聖堂下堂左翼廊 

 本コラムでは2回に渡って、《エルサレム入城》と《最後の晩餐》の場面を取り上げて、ロレンツェッティの独自性を浮き彫りにしてきました。今回は《キリストの磔刑》とフランチェスコの《聖痕拝受》を中心に、場面間のつながりに注目していこうと思います。

フランチェスコとイエス・キリスト

 下堂左翼廊において全11場面で展開する「キリスト受難伝」連作の内、《キリストの磔刑》[図2]は他の場面の4倍以上の大きさで表されています。

[図2]ピエトロ・ロレンツェッティ 《キリストの磔刑》 1310年代後半

 その理由のひとつは、この主題が「受難伝」の中で最も重要な主題であり、物語のクライマックスであるということです。実際、ロレンツェッティの師であるドゥッチョも、シエナ大聖堂の祭壇画[第31回コラム 図12]で、同様の構成を行っています。

 ですが、この壁画の真上にあたる上堂の左翼廊でも、チマブーエによる《キリストの磔刑》(1280年頃)が大画面で表されており、さらには反対側の右翼廊でも同主題作品が繰り返されています[図3 赤枠]

[図3]サン・フランチェスコ聖堂上堂(祭壇側からの眺望)

 イエスの磔刑をとりわけ重視するこのような構成は、ここがフランチェスコの遺体を埋葬した聖堂であることと深く関係しているように思われます。

 フランチェスコと磔刑との密接なつながりは、第31回のコラムでもお話ししたように、彼が世俗世界で暮らしていた時にすでに始まっていました。アッシジ郊外のサン・ダミアーノ修道院に飾られていた十字架像の前で祈っていた時、その板絵[図4]から、「わたしの家を建て直してください」と呼びかけられたのです。以来、フランチェスコは清貧を何よりも重視する修道士としての生活を送るようになりました。

 [図4]《十字架上のキリスト》 12世紀初頭  アッシジ サンタ・キアラ聖堂(サン・ダミアーノ修道院旧蔵)

 より重要な出来事は、十字架上のイエスと同じ箇所に傷跡ができたという「聖痕拝受」です。やはり第31回のコラムでお伝えしたように、フランチェスコは1224年の「十字架称揚の祝日」である9月14日にラ・ヴェルナ山で祈っていたところ、天に現れた翼に包まれた人のようなものから、両手と両足、脇腹に聖痕を授けられたということです。

 このエピソードはフランチェスコの最初の伝記であり、教皇庁も正式に承認したトンマーゾ・ダ・チェラーノによる『第一伝記』(1228-29年)にすでに記されており、フランチェスコが亡くなってわずか2年後に列聖されることになった理由の一つとされています。その後、修道院長であったボナヴェントゥーラは『レゲンダ・マイヨール』(1263年頃)で、「聖痕拝受」をこの聖人の生涯のクライマックスと位置づけたため、世の中に広く知れ渡るようになりました。

 こうしてフランチェスコは  “IMITATOR CHRISTI”(キリストに倣う者)、さらには “ALTER CHRISTUS”(もうひとりのキリスト)と見なされるようになったのです。

「フランチェスコ伝」連作の《聖痕拝受》

 フランチェスコ聖堂で最もよく知られている壁画は、上堂の身廊下層部に28場面で展開される「フランチェスコ伝」連作です。それは右側壁の祭壇側から始まり、ひとつのベイ(柱間)に3場面ずつ配されているのですが、入口に近い第1ベイのみ、4場面になっています。したがって右側壁に第1~13場面、入口の左右に第14~15場面、左側壁に第16~28場面が描かれているのです[図5]

[図5]サン・フランチェスコ聖堂上堂(入口側からの眺望)と平面図

 この連作において、《聖痕拝受》[図6]は第19場面として、左側壁の第1ベイの4番目に表されています[図5 赤線]。

[図6]ジョット 《聖痕拝受》 1295年頃 サン・フランチェスコ聖堂上堂

 「フランチェスコ伝」連作は作者の帰属と制作年に関して、19世紀後半から長年に渡って議論されていますが、少なくともこの《聖痕拝受》においては、同主題のジョットの署名が記された板絵[図7]との類似性から、ベッローシ(1984年)が言うように、この革新的な画家の作と見なしてよいのではないかと思います。

 実際、このふたつの作品を1270年頃に中部イタリアで制作された板絵[図8]と比べると、図像と様式の両面において、明確な違いが見出せます。

[図7]ジョット 《聖痕拝受》 1295年頃 パリ ルーヴル美術館(左)
[図8]《聖痕拝受》 1270年頃 フィレンツェ ウフィツィ美術館(右)

 前者に見られるフランチェスコの自然なポーズ、堅固な彫像性、そしてラ・ヴェルナ山や建物の写実的な表現は、先行作例とは明らかに異なっています。また、天空の翼に包まれた人物はそれ以前の天使の姿ではなく、明らかにイエス・キリストとして表されており、フランチェスコへ語りかけるように前傾姿勢をとっているのです。

《聖痕拝受》と周囲の壁画との関係性

 以前、スクロヴェーニ礼拝堂の壁画を取り上げた際に、ジョットの革新性のひとつとして、物語の展開をスムーズに見せるために、隣接する複数場面を巧みに連携させていることを紹介しました(第29回コラム参照)。では、《聖痕拝受》を含む左側壁第1ベイの4壁画[図9]では、その工夫は見られるのでしょうか。

 [図9]「フランチェスコ伝」連作(第16~19場面) 上堂左側壁第1ベイ 

 このベイには《聖痕拝受》に先行する場面として、《チェラーノの騎士の死》(第16場面)、《ホノリウス3世の前での説教》(第17場面)、《アルルの僧院への出現》(第18場面)が表されています。

 《聖痕拝受》とは異なり、これらの3場面はいずれも室内図になっています。その建築モティーフは白と赤の大理石が基本で、そこに細かな象嵌装飾が施されるゴシック様式で表されています。視点に関しては第17場面では画面中央、第16・18場面は画面外側に置かれているので、これらの3壁画の建物はひとつの視点に基づく表現になっていません[図10]

[図10]「フランチェスコ伝」連作(第16~18場面)の細部

 とはいえ、天井の高さや建築様式を合わせることで第16~18場面を連動させ、これら全体を第17場面の手前から見せようとしていることがわかります[図11]

[図11]フランチェスコ伝」連作(第16~19場面)における場面間のつながり

 ということは《聖痕拝受》を見る者は、先行する3場面とは別に単独で対峙することになるはずです。それはこの場面の重要さを観者にしっかりと認識してもらいたいという作者の意向と捉えることもできるでしょう。しかしながら《聖痕拝受》に描かれたフランチェスコの視線を追いながら画面の外側にまで目を向けると、右上には《キリストの磔刑》が配されていることに気づくのです[図12]

[図12]「フランチェスコ伝」連作と「キリスト伝」連作の関係性

 身廊の左側壁の上層と中層、およびファサードの裏壁面において全18場面で展開している「キリスト伝」連作は、1290年代前半にローマの画家たちを中心に制作されたと考えられています。つまりこれらの壁画は、「フランチェスコ伝」連作のプロジェクトが開始された時には、すでに仕上がっていたはずです。

 この聖人伝のどの場面をどこに配置するかといった全体の装飾プログラムを決定したのはフランチェスコ修道会なのか、それともひとりの画家であるのかは明らかになっていません。ですが最も重要な場面である《聖痕拝受》を《キリストの磔刑》の左下に置くことは、最初に決められたのではないでしょうか。

 さらに《キリストの磔刑》の真下に《フランチェスコの埋葬》の場面を配置することで、両壁画は聖なる者の「死」というテーマで直結し、横たわるフランチェスコの遺体は左上の《キリストの埋葬》のイエスと対応することになります。このように配置することで、フランチェスコ伝における重要な2つの出来事は、キリスト受難伝のクライマックスと密接に結びつくことになるのです。

 したがって、左側壁第1ベイのフランチェスコ伝連作は、第16~18場面をひとつのグループとしてまとめ、第19場面の《聖痕拝受》は中層のキリスト伝と関連させて見せようとしていることがわかります[図13]

[図13]《聖痕拝受》と周辺場面との関係性

 このように隣接する場面を結びつける試みは、まさにジョットがスクロヴェーニ礼拝堂壁画において行っていたことです。おそらく《聖痕拝受》だけではなく、第16~18場面もまた、ジョットによって描かれたのではないでしょうか。

ロレンツェッティの壁画構成

 再び下堂左翼廊に戻りましょう。ここにはこれまで見てきたように、ロレンツェッティによる「キリスト受難伝」連作が3つの壁面で展開されていますが、西側壁面の下層部[図14 白枠]には、奇妙なことにフランチェスコのエピソードが単独で表されています。画家が選択した主題はまさに《聖痕拝受》[図15]です。

 [図14]ピエトロ・ロレンツェッティの《聖痕拝受》の位置(白枠)

 

[図15]ピエトロ・ロレンツェッティ 《聖痕拝受》 1310年代後半

 フランチェスコのポーズや彫像性、ラ・ヴェルナ山のごつごつした岩山の表現、天空の翼に包まれた人が明らかに十字架上のキリストとして表されている点など、この壁画の特徴が上堂の第19場面[図6]と類似していることは明らかです。ロレンツェッティは《聖痕拝受》においても、ジョットの同主題作品から発想を得ているのでしょう。

 ですが、ロレンツェッティはなぜ「キリスト受難伝」連作にフランチェスコのエピソードを組み込んだのでしょうか。その理由は、フランチェスコが “ALTER CHRISTUS”(もうひとりのキリスト)であることを改めて強調することにあったのではないかと思われます。というのも《聖痕拝受》は、東側壁面に大きく描かれた《キリストの磔刑》と向かい合わせの位置に置かれているからです[図16]

[図16]ロレンツェッティの壁画における場面間のつながり 

 このように《聖痕拝受》と《キリストの磔刑》を関連付けて配置することも、ジョットからの影響と考えていいでしょう。

 このことを踏まえた上で、左翼廊の中心に立って天井を見上げてみましょう[図16白枠]。すると西側壁面に描かれた《エルサレム入城》、《最後の晩餐》と、東側壁面の《キリストのむち打ち》、《ゴルゴタへ向かうキリスト》が向かい合わせになって視界に入ってきます[図17]

[図17]下堂左翼廊の中央部からの眺め 

 すると《エルサレム入城》と《ゴルゴタへ向かうキリスト》は、どちらも画面上方にエルサレムの街並みを14世紀の中部イタリアの都市景観として表していることで共通点を見出すことができることに気づきます。

 同様に《最後の晩餐》と《キリストのむち打ち》は、どちらも主役が置かれた大きなメイン空間と脇役たちのいる小さなサブ空間で構成されていることがわかるのです。つまりこれらの場面は互いに関連付けられるように、街並みや建築モティーフの大きさや配置が決められたように思われます。

 ピエトロ・ロレンツェッティはサン・フランチェスコ聖堂の壁画を描くにあたって、様式や図像だけではなく、連作における主題の選択や各壁画の連動性ということでも、ジョットの革新的なアイデアを借用したに違いありません。