2通りの世界展開

――コロンブスによる「新大陸」の発見(1492年)以降、スペインとポルトガルによる南アメリカの植民地化が進みます。そこから1世紀ほど遅れてイギリスによる北アメリカの植民が始まるわけですが、この南北の植民地化にはどのような違いがありますか。

 非常に重要な問いですが、その違いを考える前に一つ注意しておくべきことがあります。アメリカの成立は、現代の視点から見ると、宗教的、政治的、経済的、文化的な要素が複雑に絡み合ったプロセスだったということです。

 前回のコラム(「アメリカはどこで生まれたか ――〈自由〉の前史」)で「名づけと領有」について触れました。ヨーロッパにおいて「名づけ」とは洗礼であり、名づけられたものがキリスト教世界に取り込まれることを意味します。つまり「洗礼」という宗教的行為が、「領有」という政治的行為と重ね合わせられているわけです。

 アメリカの歴史は、今でこそ、宗教、政治、経済、文化といったように、分断して縦割りで語られますが、こうした考え方自体が、アメリカが世界に現れた時代に生まれたものです。つまり、アメリカの成立を考えるときには、これらをつなぎ合わせて見ていかないとその本質をつかむことはできない。このことを意識しておく必要があります。

――なるほど。

 質問に戻ると、南アメリカと北アメリカの成立の違いは、世界展開の仕方の違いと言い換えることができます。前者は、先住民やその文化といった自分たちとは異なるものを征服し、同化して、自己を拡張していく。これはヘーゲル的(弁証法的)な方法と言うことができますが、かなり面倒なやり方です。言うことを聞かない者にはムチや鉄砲を使い、自分たちも返り血を浴びながら、力で世界を広げていく。

 南アメリカと同じ頃このやり方で征服されたのはアフリカやインドなどですが、その過程で「黒人奴隷」という存在がつくられます。そこでは教会や国家ではなく、商人が中心的な役割を果たしました。商人は基本的に私人であり、今風に言うと「民間活力」です。そのかれらが、それぞれの地域の権力者と交渉し、人身売買を自分たちの商売にした。そして新大陸アメリカが、その最大の顧客になっていくわけです。

 こうした征服・同化による自己拡張は、ヨーロッパの世界展開における大きな特徴でした。これに対し、北アメリカでは異なる方法がとられます。

 北アメリカは宗教改革の後、国教化されたイギリスで居場所を失ったピューリタンらによって開拓されます。かれらは土地に所有権を設定し、その権利を基に自分たちの土地を広げていきました。簡単に言うと、「ここは俺たちの土地だ」と言って、元々そこで暮らしていた先住民を「合法的」に追い出していったのです。

 抵抗する者は、所有権への侵害であるとして、力でねじ伏せる。そこで起きていたのは、既存の世界の抹消です。先住民の暮らしや文化といった、それまでの世界を全部まっさらにして、その上に、所有権を基にした新しい世界をつくる。それは征服するとか、同化するとか、あるいは奴隷にするのとはまったく違います。そんな面倒なことをしなくても、邪魔者は追い払えばいい。そうすれば、全部俺たちの自由だ。それが「アメリカ」のやり方です。

独立戦争とは何か

 このアメリカ方式は、国家とはほとんど関係がありません。北アメリカの植民はイギリス国王の特許を得て行われたので、そういう意味では関係があるのですが、その活動の母体となったのは民間の会社です。つまり、国王の領有権の下で、商人や市民によって私的所有権に基づいた新しい世界がつくられていく。この点が、征服者や征服王朝を起源とするヨーロッパの国家との大きな違いです。

 こうして新しい世界ができるわけですが、それに対して18世紀の後半、本国イギリスが税金を課してきます。それ以前にも関税はあったのですが、七年戦争の戦費などでイギリスが財政難に陥ったため、その穴埋めとして、植民地から直接徴税しようとしたわけです。それで「ふざけるな!」と反発して起こったのが独立戦争(1775年―1783年)です。

 アメリカの独立戦争はフランス革命(1789年)とよく並べて語られますが、その内実は市民が王権を打倒するということではなく、本国の徴税権を排除し、自分たちの経済活動のオートノミー(自律性)を確立することでした。この目的を共有する13州(ステート)が手を結んだのがアメリカ合衆国(United States of America)というわけです。(というので、私は「アメリカ合衆国」という表記は適切ではなく、合州国と記すべきだと主張して、支障のないかぎりそう表記することにしています。)

――独立戦争は自由な経済活動を守るためのものだったんですね。独立後のアメリカとヨーロッパの関係はどうなっていくんですか。

 アメリカが国際関係のなかでどのような位置を占めるのか、すなわち、ヨーロッパのウェストファリア体制における主権国家の一つになるのかどうかといった議論も、もちろん行われたんだと思います。ただ、アメリカにとってはヨーロッパ諸国との関係より、自分たちの勝ち取った自由と民主主義をいかに守るかの方が圧倒的に重要だった。

 それで、ヨーロッパとの政治的な相互不干渉を掲げるモンロー主義(1823年)を打ち出します。戦争ばかりしているヨーロッパなんてどうでもいい。俺たちは古いヨーロッパには手を出さない。その代わり、ヨーロッパも俺たちの西半球には手を出すなと。

 ヨーロッパとの違いをアメリカに言わせれば、あっちは旧世界、俺たちは新世界ということになります。地図の上では「東半球」と「西半球」という区別です。

 新世界とは世界を再創造するということなので、宗教感情と強く結びつきます。その結果出てきたのが、19世紀半ばの「マニフェスト・デスティニー」です。北アメリカ大陸を東から西へと開拓し、民主主義やキリスト教文明を広げるのは「神から与えられた明白な天命である」とする思想で、これが「西部開拓」の表看板になりました。

 1848年、アメリカはメキシコとの戦争の末にカリフォルニアを獲得し、東海岸から始まった西部開拓は建国から70年余りで太平洋岸に到達します。その後、アラスカの購入やハワイの併合によって領土はさらに拡大し、1959年にはこの二つが州に昇格して、現在の50州となりました。

所有に基づく自由

 こうした形成のプロセス自体が、アメリカが「新世界」である理由です。古い戦争、つまり領土争いによって確立された帝国ではなく、市民が自由をつくり出し、その自由によって発展・拡大していく空間、それがアメリカだと。そしてその自由を基礎づけているのが所有権、つまり「これは誰のものか」を法律によって定めるということです。

 はじまりは、さっきも言った通り、自然の大地です。そこに生えている草木、作物、動物……、そういったものも含めて所有権を設定し、それを持つ者を市民として位置付ける。所有権によって、すべてが正当化されるわけです。

 所有権を設定するというのは、そのものを売買できるようにすることでもあります。土地であれば不動産になるということです。その結果、あらゆるものが金に換算され、商品として売り買いされるようになるわけです。

――「自分のもの」だから、自由に売ることができると。

 そういうことです。その結果、木や鉱石といった天然資源はもちろん、水や空気も商品になっていく。水を買うのは今や当たり前ですが、ロッキー山脈の空気を缶に詰めて売るビジネスが、かつて話題になったことがあります。さらには、遺伝子にも所有権(知的所有権、特許)を認めるべきだという議論まで起こり、世界中で大論争を巻き起こしました。

 こうした考えの根本にあるのは、認識(知)は所有の対象であるという発想です。土地にしても、遺伝子にしても、見つけたら、そのこと自体が所有の対象になる、つまり「これは俺のものだ」と認識することによって、法的な所有の対象(少なくとも議論の対象)になる。これがアメリカのラディカルさであり、「新世界」のシステムなんです。